|
__<東京漂流>__ ・'81.7.22 自然(かみ)の日 都市という人口世界も抗うことの出来ない自然というものが、未だ我々の周りを取り囲んでいることに変わりはない。それが一度騒ぎ始めると「人工」はひ弱である。 そして時に覆い隠していた汚物や異物、矛盾を露呈させる。本性を暴いてくれる。 印やネパールの工芸品が並べられた出店、親子がやって来て、ネパールの手すき紙のレターセットを手にし「汚いねコレ」と、台の上にゴミの様に捨てた。 自然に近いものを「汚い」と感じ、人工のものを「綺麗」と言う。都市の人は自然に近い人間を、無意識のうちに嘲り攻撃し始める。 家や身の回りが都市化してきれいになり、自然的なものや関る人を異物視し、疎外すると同時に、男性は女性化した人が好まれ、自然界でも汚水によって魚がメス化している。 ・'81.6.17 深川通り魔殺人事件 川俣軍司、中華料理店「万来」(江東区森下2丁目)に主婦1人人質にして立てこもり、捕らえられた時、ブリーフ1枚に靴下。この時、群集に混じってカメラマンまでもが罵声を浴びせた。__30秒の撮影時間、「凶悪犯」と決め付けられた人間を前に、カメラマン達は「世間」の要望に 応える為、罵声を浴びせ演出した。 この時の川俣は、朦朧として気抜けして寂しく哀れに見えた。が、移送先で表情が一変していた。口に轡を噛まされ、後ろ手に縛られ、悪霊のシャワーを受け怨念に満ちた様に、渾身の力を込めて睨み返していた。 それまでの都市犯罪者は居直ってせせら笑う。しかし彼は人の怒声の一つ一つを馬鹿正直に生身でいちいち受け取っていた。 茨城で中学卒業までと、集団就職で上京して後、また帰郷してから父親のシジミ獲りを手伝う。 再度上京して東京へ。この時代汚物として疎外されたのだろう。 「誰かが自分を消そうとしている」「やられる前にやってしまおうと思った」「子供連れの家族を見ると腹が立つ」 ・金属バット事件 殺された夫人、死の前、冷めた夫との関係を日記にしたためていた。 方丈記の一節---行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたる例なし。世の中にある人と栖と、また各の如し。 __血飛沫を あつめて早し 最上川__(末世に向かってスピードを速めつつあるさま。最上川は日本の比喩) ・一柳家を撮った写真を見てある人が「何だ是は。不動産屋の写真と同じじゃないか。こんなもの、オレだって撮れる」 その人はその写真を十分に理解した。しかし、写真の持つ意味と逆説を読む作業を怠った。ということは結局、写真そのものを理解しなかった。という事になる。 ★写真とは現実を切り取った瞬間、現実と相対化された「イメージ」となり、様々な隠喩や修辞や、幾重もの逆説の可能性を秘め始める。そしてそれは、何時、どのような媒体の、そのような位置関係の下に、どのようなレイアウトで、更に言えば、どのような紙に、どのような印刷形式で載せられているか。ということによってその写真の持つ意味は選ばれていく。 加えて、その写真がどのようなコピーや文章と対応しているかによって、その写真の意味は限定されていく。その時、その写真の持つ全体像は、写真によって撮られた現実の持つ全体像とは遠く剥離している場合がある。 ・死と言う厳然たる事実も人間の生存から切り離された異物としてこの社会は隠蔽し始めているように思える。 コマーシャル環境には[怒]と[哀]の欠け落ちた[喜怒哀楽]が氾濫する。 ////話題になった「バトルロイヤル」「血と骨」など?//// __<人間は犬に食われるほど自由だ>__ ・60年代以降の社会が何故人間を管理し、汚物異物や前近代的な人間の生活を排除していったのか。 生産効率を上げるための管理。能率を妨げる「人間的なる感情や行為」は邪魔。 商品主義(コマーシャリズム)、宣伝広告(アドバタイジング) ・音と映像によって大衆を感化していくメッセージは宗教と似ているが、コマーシャリズムは明の部分のみ。宗教は生と死(明と暗)全体性を踏まえている。 60年代以降の子供はこれに慣らされ、人間生活や事物における全体像の欠落したメッセージに無知のまま生理的に関っていき情操を育まれ肉体化。 80年代における「幸福感過多症」(多幸症候群)→自分の幸福感を侵すもの一切を排除する性向。 _「ヒト食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」_ 犬が見せた真の世界 犬の群れが争いつつ、人間の屍を食べている。ガンジス河のあるこの国では墓を作る風習がない。人は死んだ後焼かれて灰が河に流される。あるいはその屍を丸ごと川に放り 込む。犬が、魚がそれを食べる。自然だ。本当のシルクロードとはこうなのだ。 絹の道の終着点、法隆寺の鐘の音を聞きながら眠れぬ体にウイスキーを投げ込む。悪酔いの中で人食う犬の夢を見る。日本は何と人間を大事にしすぎる国なんだろう。 印 10年前、日航機墜落事故、田舎に落ちる。数人の農民が死。印人が要求した補償額--1人17万円。金を払う側の日航が逆に戸惑った。__人間ただの生き物__ ////この著書を読んで思ったことの羅列 ・藤原さんの文を読むと、いかに自分が見てきた映像は表面だけだったか、それに対しての考えも少なすぎてぼんやりだったのかと知らされる。 ・写真もその先が見えるものが良い。 ・情報操作。自分の仕事としている販売もその一端。 ・例えばあるTV番組。何かの企画が好評で、企画、作成側は「次はもっと楽しんでもらおう。」と、足で稼いで情報を集める。そして次に「この視聴率を続けて取って行こう。」と、視聴者の要望に応えようとする。そういう運びに普通の人間は乗っかっていく。だが、この先は、実体のない視聴者の要望の為に、ない事まででっち上げて取り繕わなければいけなくなる。 ’見捨てられないように’ その「ウソ」が表面化したときに非難を受けると共にほっとするかもしれない。 ・もしかしたら「尾崎豊」も同じ虚空に乗ってしまい、自分の体と精神の許容範囲を超えた状況を続けてしまったからか。と、思う。 ・コマーシャル、事件、ちょっとした人の行動、ある人が口癖の「根拠は?」つまりここでは、時代背景によって人の心も操られ、管理され、消費させられていく中で起きているものだと。そして垂れ流しの情報を全部受けてしまう事を見直し、選んで受けて行く事。更には、この世界が向かう先に危機感を持って見なければ、彼の書を何年か読んでいる者として成長がないかな。 ・最近 米 ブッシュを暴く番組があり、藤原氏著の「アメリカ」を読んだ時と同じだった。つまりあの時の藤原さんの考え方がやっと、と言うか他の人に表面化し始めたのか。 ・戦争当時を語る上野の人をも我々は眼を逸らす。無視に近い。この人たちを排除しようとしている。 ・川俣にカメラマンの罵声。私は気づかないだろう。平和に慣らされたただの映像としか見ていない我々と「生きること」をして来た著者は同じ映像でも全然見てることが違う。重さも。戦国時代の武将のように、気配で敵も見方も分かるような感覚を名残として体のどこかに留めていられた世代なのだろうな。 ・オウムや新興宗教へ入信する若者達は、昔の日本家屋ではない、自然から遠い生活空間で育ったのでは?しかし制御されたいという思いがある。そして選んだ先がそこだった、ということだろうか。 ・働かない若者、コンビニで新商品をあさる主婦。’働かぬ者食うべからず’の言葉は何処へ消えたか。労働にも飽き、目新しいモノに興味を持つもののすぐ飽きる。新曲や新刊本が話題になる期間も短くなった。//// copylight sato/side-car All rights reserved. |
| << 前記事(2008/03/31) | トップへ | 後記事(2008/04/03)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/03/31) | トップへ | 後記事(2008/04/03)>> |