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実は今回、最後まできちんと読んでいない。内容も色々あったのだが、これをピックアップしただけに留めた。 しかし必要というか、’重要’な事かと思われる。 ・新興世俗家族宗教 発生要因---家族の崩壊が起こり、戦後農本社会から二次産業社会に移る過程で、地縁、血縁を旨とする家族共同体は解体。 企業という共同体が家族に優先。残った妻と子供が父親不在を埋め合わせようとする働きが起こる、のだが、子供は受験教育。いい学校、企業へ”飼育”され、どちらも人質に取られる。母親はその間で揺れ動き翻弄。 ’母は強し’の格言は、女性が大自然との紐帯を切り結んでいた昔のこと。 自然と切れた、抽象化した女性程弱く、間違いを犯しやすいものはない。 ・企業、信仰は個人・家族の犠牲の上に成り立ったと気づく。 バブル景気(高度成長最末期)生産、消費、時には過労死に至るまで企業社会に尽力。にも拘らず一向に生活にゆとりは生まれない。働くほど自分の首が締め付けられる。 ’飼い主が犬の足を噛んだ’ 犬(企業戦士)は企業拡張に寝食を忘れて働く。会社は更に肥え太ろうと銀行からカネを借り、土地投機に走る。 誰もが家を買えなくなった。 忠犬ハチ公が一生懸命働いたご褒美として、親方は 犬から犬小屋を取り上げた。 ////「家族」---本来、親が躾けるべき事、祖父母が伝えていくべき世の中の道理、兄弟間で養われる協力や競争。 そういった感情を養う場、や関りに置いての所作を学ぶ場が ない。 人が生きてゆく中で、’自分らしく’生きていく原動力となるのは、いい加減でいても何かを欲する’心’が働くからだと思う。 その為に何らかの関りを持とうとする。周りに無ければ他所に。親が示してくれなければ何処かの誰かに。 それが仕事先の企業であったり、学校・大学のサークルであったり、趣味の講座や、アウトドアの仲間であったり。 何処かに所属することで人間として認められる、社会とのつながりを保ち、自分の居場所を確保することで、不満がありつつも安心する。 それを何処に求めるか。その基準があやふやなまま選んだ先が道理から離れたものになることがある。 「新興宗教」「癒しを求めるヒーリング」「自然食品とうたって高級寝具に行き着く騙し商品」 統一教会では結婚相手まで世話してくれる。自分の信じるもの。進むべき道、他人への支援。 ’社会への関りをここで学べる。人間として成長できる’と勘違いしてしまう。 何事もホドほどでなくては。 一つに求めすぎてはいけない。どっぷり浸かり過ぎてはいけない。関わり過ぎてはいけない。 周りが見えなくなり自分を見失う。 「幸せ?」個人で違い、置かれている状況で違う。 「幸福?」__言葉のニュアンスから言うと、「幸せ」よりカチッとして、質が高く至上を指す感がある。 何をする事が幸せで、誰と関ることが幸せで。__答えを探し、求め続けられる’お題’だけれど 一つ言えるのは、「身近な人が笑って喜んでいるのを見た時」が幸せ。かな。//// copylight sato/side-car All rights reserved. |
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