風の行方

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zoom RSS 藤原 新也  「ディングルの入江」 vol.2

<<   作成日時 : 2008/09/02 23:44   >>

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第六章
漁師ロネ、飼い犬ニッキー。モーリス・ライリー、ケイト・ライリー(ガラのパブで知り合った初老の夫婦)
ミネアポリスから来たルーツ探しの旅行者と共にブラスケット島へ。

 島は1950年代半ば無人島になった。30年以上前、変わった若いもんを乗せて島に渡ったことがあった。大きな汚い皮のトランクを提げた背の高い、面長の白い顔、光った灰色の眼。物腰は上品だが左頬に大きな傷痕、少年の頃、崖から落ち片足がちょっと不自由。妙ななまりのある英語、「島」のところだけ「イニシ」(ゲール語)と言う。
 純粋なゲール語を習う為に5ヶ月、島の長老の家に滞在する約束だった。

___彼は言った「1度でも英語が喋れるようになると、その口から出るゲール語は本物ではなくなる。」
「言葉が失われれば世界が失われる。」「私は植物学者。ブラスケット島で正しいゲール語で呼ばれる花の名前を集めに行く。それから雑草や種や木や、そういうものから作られる料理屋道具の名前を集めに。」


世界の全てはあちこちで繋がっている。だからその一部だけを知ってたってそれを本当に知った事にはならない。
シャムロックの花の名前を本当に知るには、その花を咲かせる季節のことや、空の名前の事、やがてそこに飛んでくる蜂や蝶の名前、そして、それを摘んで複雑な形のリースをつくり、髪に飾る時に少女が口ずさむ歌の名前、それからその少女の名前、出来るなら少女の両親や、彼らの住んでいる土地や祖父母の名前が分ればもっと好ましい。
 何故ならシャムロックのリースの作り方は祖母から母へ、そして少女へと伝えられていったに違いないから、と。

この様に春の空の下、何処の空き地にでも作花一つで、世界というものは複雑な形のリースのようにどこまでも繋がっている。そしてその複雑なリースのあらゆる部分には名前がくっついていて、それはもう一つの目に見えない美しい言葉で出来た大きなリースの輪を作っている。そしてその目に見えるリースと目に見えない言葉のリースが互いに男と女のように優しく抱き合っていて、そこに人間の社会が生まれる。だから言葉が失われるとリースも失われるんだ。」___

その青年は5ヵ月後島を去った。お礼に絵をくれた。ブラスケット島を描いた絵。楽園のように島は綺麗な花々や木や草や、人や家や動物で埋め尽くされていた。あらゆる魚屋海藻や動物が描かれていた。絵はおまけにシャムロックの花のリースで丸く囲われていた。
「冬の島を知らないんだな。」と言うと、今度はきっと冬に訪ねて来たい、と言った。しかしそれきり奴は来なかった。
 言葉が変わって世の中が変わった気がする。海を’ファリガ’と呼ばず「シー」と言うようになってめっきり魚が減った。
 空の星を’リン’とは呼ばず「スター」と言うようになってから星の輝きは前よりもずっと失われたような気がする。

ケイトが言う「....まるで不死の島、ティール・ナ・ノーグにやってきたみたい」
山の上に立ち、モーリスにケイトが言う。
「始まりって言うのは何もないって言う事よ。だから全ての可能性を含んでるの。」
「何も無いという事は素晴しい事だ。あの国に何でも沢山あるということよりすっと素晴しい。ケイト、私達は長かった人生の中で、子ネズミの様に子供を産み、よく働き、たくさんのものを集めて回り、家を一杯に満たし、入りきれないと言っては沢山の物を捨ててきたね。だがいつも何か満たされた思いがなかった。そして私達の人生はその追いかけっこで疲れ果てていた。
 この島の頂は何と素晴しいことだ。私達の人生のように、物の終りの淋しさを、物の始まりの輝きに満ちているじゃないか。」

アダムとイヴが楽園を離れた時から、人類はそのまま楽園から遠ざかり廃園に向かいつつあるんだと。次々と何かを手に入れようとする人間の限りない欲望が、本当は次々と大事なものを手放し自分達を追い詰めつつあるのだ。それはこの島から沢山の人々が米に渡った事と同じこと。

第七章
プーカの家。絵をくれたお礼にブラスケット島の写真を持って。
「僕は何処かの島の欠けた部分で、その欠けた割れ口にぴったり合う島をずっと探し続けているような気がする。近頃そういう風に思い始めている。
自分は不完全な人間だと。人は誰しも完全な島ではない。どこか欠けている、或いは島のかけらに過ぎない。
だから人は絵を描き、文字を紡ぎ、音を奏で、何かを演じ、時には旅をし、その失われた島の輪郭を再現しようとするのだね。」


プーカの育った家。一件の廃屋の写真。壁にL字型の釘で打ち付けられた一枚の額が写っている。風雨に晒されひび割れたガラスの下には1枚の刺繍布が挟み込まれている。子供用の前掛け。
「モイラ、そして愛する我が家 さようなら」  額の端に文字が。
ユーイ夫人から君の住んでいた家と村の地図を書いてもらった。

第八章
プーカの絵にあったブリキ屋のアンガスの家を訪れる。本土にいて40代でブラスケット島に渡る。ブリキ屋をした。
ある時アザラシの赤子を盗もうとした。島では豚より上等な食料。しかしそんな無慈悲な者はいなかった。捕まえようと追いかけた時、母親がアンガスの右足のもも肉を骨が見えるくらい食いちぎっていた。
 島の男達は瀕死のアンガスを救う為アザラシを狩りに行く。深い傷を元どうりにするには血の滴る新鮮な大アザラシの胸肉を捕ってきてその傷口にあてがうのが一番の治療法。大アザラシの肉には生命力が宿っている。それは人の肉に馴染む上に肉を腐らせないような不思議な効力があるらしい。

アンガスは信じられなかった。彼らが赤の他人のしがない風来坊の為に命を懸けた事が。そしてアザラシの肉がワシの肉になるなんて事が。しかし足の傷は癒え、3ヶ月もするとどうにか歩けるようになった。

ある日、小舟の何倍もあるウバ鮫と壮絶な戦いがもう半日も続いていた。1頭のウバ鮫の内臓から採れる油は、島の1年分の家々の灯火となる。ウバ鮫と死を懸けて闘いそれを射止めて初めて島に春がやってくる。
 アンガスがこの島に着いた時、子供達が灯油と素焼きの灯火皿を持ってきてくれた。島の人からの最初の贈り物。それは命の火だった。家々にともる灯火は漁師たちが命を懸けて獲り、その命の火を誰分け隔てなく分かち合う。この島で暮らす人々の命は全部が輪のように繋がっているんじゃないかと。 祖母の話を思い出す。ひょっとしたらこのような島をティール・ナ・ノーグというのじゃないか。
 話の中に出てくる不死の島とは、自分の長生きの欲望を叶える、というのじゃなく、むしろ人が自分というものを消す事で得られる大きな人間の輪のことじゃないかと。
人は死してもその輪はずっと生き続ける。だから自分の欲望を満たす為に島を目指したものの前では、それは近づいた途端消えてしまう。そればかりか、更なる飢えと悩みの奈落に突き落とされる。

傷が癒えると共に長い間凍てついていた心が徐々に解けてゆくのを感じた。

人の持つ多くの悩みは自分のことを案じたり、心配することによって生じるものだということ。皮肉な事。自分を愛する人ほどそれに応じて悩みや苦しみも大きくなるもの。
最も大きな悩みである死への恐れが自己愛の産物であるように。

 人間の持つ愛情の量はこの地上にある水の量と同じように、それが海にあるのか天にあるのかの違いで減りもしないし増えもしない。だから自己愛が減った分だけその愛情は他者に向けられるようになる。そこに又悩みや苦しみが生じるが、異なるところはその悩みはは自己愛と違って互いを支えあう力を持っているということ。
 あの島では誰かが旅に出ると前からそわそわした。誰かによいことがあれば誰もの過尾が喜びに満ち、誰かに悲しい事があると誰もが悲しみに打ちひしがれた。

島にいる時はそれが当たり前だった。全部の人が一つになって、あたかも一人の人間のようだった。
あの島では「愛」という言葉すらずっと忘れられていた。それはきっと人の心や体が離れている時に使われる悲しい言葉なんだね。
 島での暮らしでは、何か大きな輪の中に入って恵を受けている気持ちが生まれた。だから島民には常に目に見えぬものに対する感謝の気持ちがあり、もたらされた物は皆で分かち合った。


////この島の人たちのように、誰かに何か嬉しい事、悲しい事があると、皆が自分のことのように感じる生活。__「北の国から」がそうだろう。今放送中の「あんどーなつ」もその辺が描かれている。
 自分の田舎では未だに醤油や味噌、野菜など、家庭でうっかり切らした時には2,3件隣に借りに行く。おかずを余分に作っておすそ分けをする習慣が残っている。
 ただ、その様な地域でも人間、自分の所より恵まれている人をやっかむものだ。大変な事になっている人の為に自分を投げ出して助ける事もないだろう。どこかに自分が一番かわいい、大事。そう思いを残すのがこの世の凡人だから。

’次々と何かを手に入れようとする人間の限りない欲望’__大事なものが見えにくい今の世界では圧倒的な「情報」が物凄い速さで現れては消える。一つの大事なものを見つけられない我々は何かを求めようと空回りし、意味のない物を掴んでは満足できずにその先へ進んでいる。

’人は誰しも欠けた部分を持つ島で、それを補って輪郭を再現するのに、絵を描き、文字を紡ぎ、音を奏で、何かを演じ、時には旅をするのだね。’___自分は絵も音楽も出来ない。ただこうして文字を書くだけ。それだけ。////


http://www.fujiwarashinya.com


ディングルの入江 (集英社文庫)
集英社
藤原 新也

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藤原 新也  「ディングルの入江」 vol.3
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