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zoom RSS 白洲正子 「行雲抄」

<<   作成日時 : 2008/10/07 23:48   >>

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<銀座に生き銀座に死す---坂本睦子>
[若いうちから女給として働きに銀座へ出てから、様々な文壇の男性が彼女を庇護し、パトロンとなった。白州さんと交流もあり、彼女の師匠たち---青山二郎、河上徹太郎、小林秀雄らなども又然り。青山氏は出資した店で睦子を働かせ、河上氏は愛人となった。

多くの男性が睦子に魅かれ、睦子は相手が代わるたびに店を出したが、銀座を転々としていたようだ。一見華やかに見える彼女の人生。白州さんは彼女の悲報を目にし実際に睦子が最後を過ごした場所へ趣きこう記している。]


__孤独な生活はどんな人でも毒してしまう。目的の無い人生にいかなる達人も耐えられるものではない。
覇気、気魂の表れ、虚実の皮膜を漂う、比肩の技、酷評、寂寞とした心地、純朴な人柄、玲瓏玉(れいろうぎょく)の如き、通暁譬える。

<能--- 世阿弥>
[白洲さんの随筆の中、多く「能」が出てくる。能自体を詳しく話してくださっていたり、能の世界から見たらどう見えるかを教えてくださったり、そこから茶道、歌道の世界や、歴史、文化の背景などに興味を広げさせてもらっている。世阿弥の言葉は経文の一つのように我々に生きる上での基準を指し示されているように感じられる。]

__「演者と演じている対象が一緒になっては能は崩れる。それは完全に役に成り切る事とは訳が違う」
「操り人形」に譬えている。舞っている自分はいわば人形で、自分の心はそれに動かされてはならない。常に後ろにいて眼に見えぬ糸で操っていなければ破綻が起こると言うのである。

芸に達した名人はどんなことをしても美しく見える。世阿弥はそれを「闌(た)けたる位」__「闌けなわ」には、’盛りをすぎる’’すさぶ’などの意味がある。

雑駁に(ざっぱく)になりがちな欠点。 「初心忘れるべからず」---(世阿弥の言葉?)

世阿弥12の年 父観阿弥に連れられ並み居る大名の前で獅子を舞い人気をさらう。時の将軍、足利義満の心を捉え、寵童としてそば近く召し使われる。

世阿弥1363年生。尊氏が死に、世の中は乱れに乱れていた。昨日まで知遇を得た大名が今日殺されるのも珍しい事ではなかった。
後年世阿弥は鴨長明の文章を引いて
「行く川の流れは絶えずして しかも 元の水にあらず」

もっとも男色といっても当時は決して珍しい事ではなく、今のような不健康なものではなかった。鎌倉から室町にかけての物語や絵巻にも沢山表れているが、肉体関係があったにしろ、性的倒錯というよりむしろ主従、師弟間の愛情の煮詰まった形で、初々しい少年に女性的な美しさを求めるより、若さと美の象徴として男性の理想像を描いたもの。自分のかつて在った姿、又はかく在るべき姿を求めるという意味で一種の自己陶酔には違いないが、寺では仏道に入る機縁として美しい稚児を観音の化身と見た物語などもある。

言葉というものは一般化すればするほど汚れるのも事実。

[この男色に絡む話の記載があるので繋げて置く。古来、下記のような行事?今では考えられない気もするが、当時はこうしたガス抜きが適度に、’豊饒の為’と言う大義名分を付けて行なわれたんは必然であったのだろうと推察する。藤原氏の言葉を借りれば「管理主義になりすぎた」今の日本で性犯罪を含めた殺しが、相手をよく知らずに、しかし凄惨に、そしていとも簡単に行なわれるケースが多い気がする。」

__筑波嶺 峰より落つる 男女の川  恋ぞつもりて 淵となりぬる__
「百人一首」の歌で名高い男女川 茨城

風土記によると 歌は春秋に村の男女が集って酒盛りをして遊ぶ年中行事の一つで「万葉集」にも多くの相聞歌がとられている。
たとえ人妻といえども、男に言い寄られると拒む事は許されず娉(つまどい?)にもれるような女は1人前には扱われなかった。
処女も人妻も、そこでは誰に遠慮することもなく一夜の恋の歓楽に酔いしれたのである。古代の人にとってそれは単なる遊びではなく、娯楽を兼ねた農耕儀礼であったに違いない。所は男女川のほとりであり、その男女川は男体山、女体山の中間から発している。男女が睦み合う事は筑波の神意に適う行為であり、豊年を祈る神聖な祭りでもあった

<神仏習合の長い歴史>
[白州さんは日本各地の神社仏閣を己の足で訪れている。その上で彼女が感じることが記されている。]

__太古日本の人々は自然を神として崇拝 中でも美しい山が信仰の対象。寺院の建築に影響されて神社を建てるようになり、仏像彫刻に啓発されて神像も造られる様になった。
今観音像は収蔵庫に入っている。が、あのみすぼらしい部屋で見た時ほどの感動を受けない。見慣れたせいではなく、収蔵庫には仏様をお守りしているという。雰囲気がまるでないから。家裁や地震から守る為にコンクリートの収蔵庫に納めることは必要でしょうがよそよそしい冷たさを感じる。人々の信仰からも離れて物質化。

<藍も牡丹も死ぬ頃 最も美しい姿を現す>
 [牡丹]
中国では牡丹の花見を明け方の3時頃から1日がかり
で行なう。牡丹園には寝椅子がしつらえてあり、客は酒を飲み御馳走を食べながら昼寝をし、酔眼朦朧とした中で花を観賞する。そして夜ともなれば月光の下でまた眺める。__絢爛たる風景

木が年老いて、木(ぼく)が弱った時、初めて美しい花を咲かすことが可能になる。それにはざっと20年の年月がかかる
牡丹は本来寒さに強いので藁の霜よけはいらない。

[藍染め]
「甕(かめ)除き」---色が薄く透き通って、しかもコクのある浅葱色は最高のもの。
普通の植物染料と違うのは、藍甕の中で発酵させて生かしておくところにある。勢いのいい間は濃く染まるが、その生命力が衰えて死ぬ寸前になった時、初めて美しい「甕覗き」に染まる。元より力は衰えているのだから20ぺんも30ぺんも甕に漬けなくては定着しない。そこで色は薄くてもコクのある浅葱に発色することが出来るのだ。

__仏の詩人ヴァレリィ「人は後ろを見ながら前進する」

<信玄の地>
[ゆかりの地を旅して記した事。知らぬ言葉が多く出てきたのだが、いつも感じるように日本人は少ない言葉の中に場景や思いを閉じ込め、さらに掛詞でセンスを見せ、さらに多くの意味合いを組み込む。職人だと感じる。]

__美点と欠点は紙の裏表のようなもの
甲斐の黒駒--(くろこまは良馬) 地名も「牧」がつく所が多い
武田信玄は甲斐の黒駒と一心同体

逢坂の 関の清水に 影みえて 今や ひくらむ 望月の駒___紀貫之
望月は、信州の望月(地名)と、仲秋の満月をかけたもの

「散佚(さんいつ)」「縹渺(ひょうびょう)」とした霞のかなた

近江の古名「近つ淡海の国」という、都に近い淡水の海__の意で、それに対して遠江の浜名湖を「遠つ淡海」と呼んだ。近江の字を当てたのは8世紀頃から琵琶湖の名称が出来たのはそれより後の事。

「不断の桜」---秋から冬にかけて咲き続ける。地下水で根が暖まって咲くという。大きく育たないのは四六時中花をつけているからか?


白洲正子---随筆家1910年(明治43年)東京生まれ
実家は薩摩出身の樺山伯爵家
4歳から能を学び1924年(大正13年)女性として初めて能楽堂の舞台に立つ。同年、学習院女子部初等科を卒業。米国への留学。ハートリッジ・スクール卒業後帰国。19歳で白洲二郎と結婚。
1943年(昭和18年)志賀直哉、柳宗悦らの勧めも合って「お能」を刊行。戦後青山二郎を中心とする文士集団’青山学院’で文学修行に励む。能、古美術、古典文学、史跡に自然と、随筆の題材は多岐に渡る。
「能面」「かくれ里」は共に読売文学賞を受賞。
1998年(平成10年)12月26日死去 享年88歳。


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NHK「白洲次郎」第二話を見て
’自分の意志にゆるぎなく’ 赤紙を握りつぶしてもらった。 ’その者に与えられし役目がある’戦争に行きたくないからじゃない。 ...続きを見る
風の行方
2009/03/16 22:52

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