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zoom RSS 野沢 尚 「呼人」 前半[背景にあるもの]

<<   作成日時 : 2009/04/01 23:33   >>

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先日、たけしの「昭和のスクープ50」という番組があった。それを見て__
後世に残すべき事をその場に居合わせたカメラマンや記者は行ってきた。それが自分の追い求める、描いて伝えたいと心に温めてきたものではなくても。

野沢氏のこの「呼人」に関係する浅間山荘事件。「最後の砦」のタイトルにも繋がるような安保や麻原の教団。
このように人の心に残る、留められる言葉を残した彼は、先を見越して、というより彼の思い描く伝えたい事に使用した集約した言葉と、こうして後日何十年前を振り返るとき使用される言葉とが重なり合ったような感を受ける。

ミサイル発射予告で北朝鮮が連日放送されているが、ここにいたる経路も「呼人」を読み、少しだが理解できるところもあった。
いつものように自分にとっての初めて知ることや登場人物の心のあり方など気になる所を書き留めてみた。


<呼人の背景--宗教>
「新約聖書」にはイエスの母親マリアについての記述は極めて乏しい。多くの宗教学者はマリアをキリストの受肉と人間格の保障者としての存在と意味づけた。つまり神の子イエスは聖霊の力によって処女マリアの胎内に宿り、マリアの肉を受け、正しい魂を身に取り込み、マリアから生まれる事によって「神としての人間」になったし、彼女は「
女仲介者」とも呼ばれる。
マリアという女性は「救世主が人類の贖罪の為に、イエスを出現させた通路」であり「生きた泉が流れ出す初めての源泉」であったと言うのだ。が、ここのひとつの大いなる疑問「普通に孕まれた人間は全て原罪を背負っている」と言う教義が正しいとするならマリア自信は普通に出生した女であるわけだからマリアが処女生産をしたとしてもどうしてそのこどものイエスは罪と無縁になるのか。
イエスとマリアの「無原罪」を証明するにはアダムとイブまで遡り、その途中の全員が「無原罪」でなければ矛盾する。

キリスト教の学生はマリアの良心の家系まで調べて、マリアの「生まれ方」から、彼女の特殊な「生み方」を説明しようと苦労した。結局「マリアはキリストを孕んだことによって罪から救われた」と言う表現で皆が一致する事になる。

処女にして母親。神である方の人間の母親。この矛盾を世界中の人々が受け入れてきたのは、偏にマリアが人々の心を癒す絶対的な優しさを持っていたから。

<呼人の背景--北朝鮮>
ミサイル発射よりも北朝鮮から潜入した工作員が当面の脅威だ。北朝鮮のスパイ学校では「日本はまるで腐ったカボチャだ。押せば押すほどへこむ。」と教えているそうです。確かに日本ほど脆い国は無い。例えば利根川上流のダムは建設省がコンピューターで堰を上下させて水量をコントロールしている。そのシステムを狂わせるだけで下流で大洪水になるんです。また運輸省関係者によると、航空管システムが破壊されたら日本の空は怖くて飛べなくなるという。

「朝鮮民族は外国を侵略した事は無い。五千年の歴史では何時だって外国の餌食になってきた。」
「その中で文化や名前まで全部否定されて国を追われたのは、日本の植民地時代だった。国を真っ二つにされたのはアメリカのせいだ。俺達は敗戦国だったか?日本の同盟国だったか?日本の植民地支配から解放された後、米に南半分を占領される理由が何処にあった?」
「俺達北と南の問題は南の資本主義と北の社会主義の対決なんかじゃない。米の内政干渉をなくして朝鮮民族の為の朝鮮を取り戻す事だ。」
「韓国にいるお前ら米兵は野放しだ。今までそれだけの人間を殺して強姦してきた?どうして俺達の国の法律でお前らが裁けないんだ?」


韓国は駐留している米軍に対して屈辱的な地位協定を結んでいる。それは日本の場合よりはるかに酷いもので、米兵の殺人事件、強姦事件、暴力事件は自国の法では殆んど処罰できない有様だ。

<呼人の背景--アミが生きた時代 過激派>
第二次世界大戦の大戦史、土地が狭くて工場も無いから臨界工業時代にする。若者達は先を争うように新左翼路線を切り開こうとする各セクトが初頭に大学生になった若者を新しい左翼路線を切り開こうとする各セクトが一斉に吸収。

米ではもっと激しい学生運動
世界で最初の原爆保有国として世界に君臨していた米は「自由と民主主義を守る世界の警察」だと公言。ところが若者達は「ベトナムのジャングルで死ぬことを拒否する。」

「黒人が何故こんなにも差別されなきゃいけないんだ。」「大学は軍産複合体に奉仕する人間を生む事だけではないか。」と抗議の声を上げた。
 米は2人のケネディを亡くしベトナム戦争は益々エスカレート。国そのものが病んでいった。米から立ち上った抗議の炎は瞬く間に世界に広がる。

日本も激動の季節を迎えた。高度経済成長の甘い汁を啜っていたのは日本の大人たちは当時の若者達のラディカルな行動で「過激派」と決め付け、国家権力を発動して頭ごなしに叩き潰す事しか考えなかった。

1968年 日本全共闘が25,000人の学生を集めて大学理事会を吊るし上げた。教授の脱税発覚は使途不明金疑惑という不祥事に怒った学生達は、理事会の総退陣を求めて大学側もそれを約束したかに見えた。ところが大学は約束を反故にしただけでなく、今まで以上の弾圧をかけてきた。
関東軍と呼ばれる体育会系の学生やOBを使って全共闘側のアジトを襲わせた。少林寺拳法部、柔道部、空手部の猛者が手に手に鉄パイプや日本等を持って雪崩込む。不意を疲れた過激は学生は必死に逃げ惑うしかなかった。それでも屈服しないと大学側は警官隊を構内に導入。

全共闘運動の最も象徴的な出来事は東大安田講堂の攻防戦。「国家権力と対決せよ」「砦の上に我等の世界を」といった看板が掲げられ、東大の学生だけでなく、労働者や市民も安田講堂に集結。
 詰め込み教育、友達を見たら敵と思え、という競争至上の教育を子供の時から受け、教育ママに尻を叩かれ続けてきた彼らにとってその籠城生活は別世界の楽しさだった。

バリケードの中で自治が行われ、大学の建物が彼らの寝床で、生活の場で、友達と語らう場だった。彼らはそこからアルバイトに通っていた。「こんな大学は嫌だ。このまま企画化された社会に送り出されて羊のように大人しいサラリーマンに飼い慣らされるのはごめんだ。大学をもっと自由な場にさせろ。」若者達はそう叫びたかっただけだ。と
ころが「安田講堂を取り返さないと国家権力も潰される」と危機感を抱いた時の総理大臣、佐藤栄作は東大に圧力をかけ機動隊を導入させた。
 
これ以後若者達は爆弾テロに走ってヒッピー・カルチャーに埋没する事はあっても二度と大人たちと同じテーブルについて話し合おうとはしなくなった。だけどその頃学生達が皆純粋だったかというとそうでもない。当時学生達は「学校は間違ってる」と大学解体を叫んだ。すると世間は「そんなに学校に不満があるならストライキなんかするより、さっさと退学すればいいじゃないか」そう切り返した。日大全共闘の多くの学生がその言葉どおりに大学を辞めたのに対し、東大全共闘の学生達は卒業して学校に残り学者になった。

日大と東大ではこんなにも差があった、という笑い話だ。60年代末期にまでに体制側の弾圧は一見成功したように見えた。ところが70年代になると若者達の一部は群馬の山奥に籠もり始めた。
重信房子がいなくなった後、森恒夫 率いる赤軍派は銀行や郵便局を襲って得た軍資金はあっても肝心の武器は無かった。一方、永田洋子率いる革命左派は武器はあっても金が無くて貧乏だった両者は、それぞれの欠点を補うように合体をし、連合赤軍となった。

銃による殲滅戦を、リーダーの森はこう理論づけてメンバーに説いたらしい。「お前が今持っている銃はそもそも銃砲店に飾られ、レジャーで鳥を撃つのに使われていただけの死んだ銃でしかなかった。しかしこの銃を使って殲滅戦を開始すればお前は殲滅戦を担う革命戦士として飛躍し、それと共にお前の持っている銃も殲滅戦の銃へと飛躍するのだ。銃がお前を変えるのではなく、お前が銃を変えるのだ。」

こんな子供騙しの文学的表現に騙され、銃の訓練をさせられていた連合赤軍のメンバーたちはとても幼く思える。

彼らの終着駅、山小屋、永田洋子と森恒夫という狂信的リーダーによる恐怖政治。少しでも規律を乱すものがいたら「総括」という名の下に処刑された。
「気絶するまで殴ろう。気絶から覚めた段階で別の人間に生まれ変わっている筈だ。革命戦士として立ち直っている筈だ。」という論理が山岳ベースに暴力を持ち込み「総括できればどんなに寒くても凍死しないようになり、銃の弾に当たっても死なないような戦士になる。」なんていう信じられないような結論が導かれた。中には妊娠している女性も居た。
永田洋子は「子供を組織の子供として彼女から取り返すべきだ。」と言い始め、その女性闘志の原を裂いて胎児を取り出そうと本気で考えたそうだ。「お腹の子供を助けたい。」という一心で苛酷な拷問に耐えた女性闘志も柱に縛られたまま息を引き取った。

権力に対する憎悪で凝り固まっていた永田洋子。自分の弱さと徹底的に対決しようとしていた森恒夫。
連合赤軍の血の粛清は結局12名の犠牲者を出した2人のリーダーが群馬県警のパトロールに引っかかって逮捕されると、残存部隊はわずか9名。
雪の妙義山から必死の逃亡が始まり、その中の5人が軽井沢の浅間山荘に立てこもった。壮絶な銃撃戦を繰り広げ、TVは連日生中継。そして10日後警官隊の突入によって全員が逮捕され事件の全貌が明らかになって12人の死体が掘り起こされた。

過激派学生達の残酷な結末を目にした若者達は、もう体制に歯向かうことなく’シラケ’きっていた。

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