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zoom RSS 白洲正子 「日月抄」  〜前半〜

<<   作成日時 : 2008/06/28 00:04   >>

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白洲さんの言葉は時としてストレートで厳しい。それが彼女なのだが、自身が知りたい事は深くまで掘り下げ、時間を費やすには馬鹿馬鹿しいと思うことは鋭く切り捨てる。その姿勢はこうやって彼女の書を読む事で自分の迷いを正してくれる。

・智恵というもの---世間一般の道徳、人の為に善を行なう。無論いい事で、しようと思えば誰にでも出来る。自分に対してはもっと峻烈に批判すべき。都合よく自分と妥協て甘やかしている。自分に解る範囲内でいい加減に卒業させてしまうのは「善」ではなく、むしろ「悪」

・いかにして?何故?何の為に?_それをいつも考える事。
「人生は重荷を背負って遠き道を行くが如し」---人によって’重荷’は「苦労」「病気」「仕事」「幸福」「才能」

・人間を知る---ある意味幸福、同時に不幸。知るほど善も悪も果てなく、大きく、深く、止め処ない。本当に心底から幸福をお望みなら必ずそれは貴方のものになるでしょう。同時に不幸をも背負い込むだけの覚悟が必要。

・幸福は形のないもの。自分のものになっても手にとってつくづく眺め陶酔する訳には行かない。手に取ろうとすると遥かかなたへ逃げていく。それに追いつてもまた逃げる。それでも追求しようとする勇気と粘り強さを持たないとくだらない結果に終るでしょう。

人間はつまらない。つかみどころのない訳のわからないもの=私はつまらない。
つまらない私が人間を「つまらない」と考える。その事がつまらない。


・般若経  一切は空。しかし一切を空と観ずる事もまた空。

多くの人は始まりもしないで死んでしまう。この世に生まれなかったのも同然。始まりもしなかった人を相手にしていたのではいつまでたっても自分の生活をするわけにはいかない。

「お祈り」から〜
・どんなに美を解さない人でも必ず心に触れる何かが在る筈。
夏の夕焼け空、白雪にきらめく冬の山、絵や詞や.
思わず手を合わせたくなる。その気持ちが大切。それを忘れても一度身に触れたその体験によって、!元の私達ではない。

一つの経験は次のものに触れた時、まざまざと甦ってくる。ふとした事で音楽の一節や枯草の匂い、お香のかおりとか、いきなり何年、何十年か前のその時、その所、その私に還してしまうように。私達はまさしくその時を再び生きている。
それは瞬く間に消えてしまうが、度重なるうち次第にはっきり形を備えていき、ついにれっきとした存在を信じるまでに至る。その体験は数を増し、形は鮮やかな輪郭を表し、大きく美しく育っていく。普通経験と呼ばれるものは度重なるにつれ、馴れていくもの。しかしこれは別。その都度全く同じものであっても、初めて起こった出来事のように新しく、珍しく、改めてびっくりする。古いものであっても驚くべき新しさ、若さ。

__これを芭蕉は「不易」と名づけた。世阿弥は「花」と言った。

「たしなみ」について〜
・清少納言「枕草子」←→紫式部「源氏物語」
枕草子より---全ての人には一に思はれずば更に何かわせむ。唯いみじう憎まれ悪しうせられてあらむ。二、三にては死ぬともあらじ。一にてをあらむ。

一とお慕いした中宮を、二、三と思う連中に見かえる事は清少納言の潔癖が許しませんでした。又自分を一と思われたご主人を見捨てることも耐え難かったのであります。
そうして利口な紫式部が石山寺に落ち着いてじっくり腰を据えて古今の大小説に筆を染めているのに、馬鹿な清少納言はしゃにむに中宮の方へ馳せ参じ、中宮の崩御と共に何処かへ消え失せてしまいました。

中宮があのように自由自在にやりにくい清少納言を扱われていたのは偏にその人間性が底の底まで見えたから。その一事だけ取って見ても中宮がいかに人間が完成された方であったか。

◎思えば現代の私達は生まれたときに既に老人であるのです。即ちある意味での奇形児です。その私達が平安朝の昔を振り返ってみて、完成されすぎているとか、不健康な貴族趣味、とかいうだにおかしなことです。
今10年前のもの、あるいは50年前のものと現在あるものとの間に私達はどれだけの差異を認めることが出来るでしょう。便利なものは増えました。が、美しいものは減ったのです。そして日本だけではない、世界中の人々が文明と言う重荷を背負ってこの世に生まれ、又生まれつつあるのです。本当にこの時代はatomic ageと呼ばれるに相応しい、華々しくも危険な時であります。そして人間は生きている間はいつでも中途半端な危うい過度的人種であるのです。

薩摩藩の示現流  剣術の師範家であった東郷という方が言った。「私の先祖、つまり示現流の元祖。昔島津の殿様について江戸へ登った後、京により鞍馬山に住む住職に会い初めて剣道の奥義を究めた。その時住職は「敵が大上段に振りかざし、その太刀が自分の頭に落ちてくるまでの時間と言うものは非常にゆっくりとしたもので扇子一本あれば必ず受け止めることが出来る筈である。」と言った。

◎自由---これほど難しく、欲しいものはない。
これを手にする為には、全てにおいてなるべく早く型を覚える事。早く既成の型にはまりきってしまう事。ここで終ってはいけない。終わった所でつまらないが、間違いだけはないはず。型を破る事も一つの型。他の諸々の芸術家達のやった型どおりの事を行なったに過ぎない。

もはや私にとって自由とは「自由にどんな型にでもはまる」以外の事は考えられません。形のない水がいかなる器にも、器なりに自由に流れ込む事が出来るように。

「桜を育てる 笹部新太郎」
・桜の寿命は450年と言いますが、稀には千何百年という名木もある。これはどういうことでしょうか?__という問いに
桜の成長はほぼ50年でピッタリ止まってしまう。それから先は自力で生きるのです。

・もくれん科の植物が白洲さんは好きらしい。
__木蓮、朴の木、おがたま、こぶし、おおやまれんげ、泰山朴__

朴→素朴、朴訥、質朴、朴直
しかし朴の旧字は撲(漢和辞典/三省堂)
1)切り出したままで人工を加えない木
2)器物をつくる材料の木材
3)自然のままに人工の加わらない事
4)生まれたまま
5)素直、技巧が加わらない事
6)地味、外見を飾らない事

飛騨 高根村 野麦峠にわざわざ朴の木を見に行った。
朴葉味噌、朴葉餅、版木、朴歯(朴で作った高下駄)等など。
朴の葉にくるんでおくと油があるので剥がれやすい上かびない。そして有道杓子(うとうしゃくし)は杓子の中の王者。

まだまだ職人が登場してきますが後半はまた後ほど。


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////この中には「へ〜っ」と感心し、早速誰かにひけらかしたくなるような知識(雑学?)が沢山詰まっている。 この頃の生活で人間が忘れている事、根拠のある習慣など気づかされる事が多い。 夕立の頃に目にする「虹」’乾燥地帯では青がない。’こんな事も教えてくれる。 桜についてはいい言葉を残している部分があるのでTBしておく。//// ...続きを見る
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